ネタバレや腐臭発言が混じるらくがきメモ

2008年09月23日(火) 地底三国志

袁術

・袁術
色々と語りつくせないけど自分三国志の袁術は野望が30くらいで兄上の天下取りの手伝いをするつもりの人。育ちがよくて若干お人好し。袁紹と仲違いしたのは孫策・孫権の陰謀です(袁家円満だと天下が決まってしまうため)。孫策の兵を吸収したのは親切心、というか維持が無理なので孫策から頼んでそうしてもらった。恩を仇で返された。
袁術といえば娘が孫権の側室になったりしているあたりのおいしいエピソードも見逃せません。袁術亡き後、遺族が孫策のもとに行くのは孫策と周瑜が二喬を娶ったのと同じくらいの時期らしいので、その時に孫権が袁夫人を娶ったとなると二喬のダブルロマンスの陰にあった合計トリプルロマンスとなる。是非そういうことにして推していきたい気持ちです。孫権は袁術に仕えてはいなかったけど、兄上のからみで何度か袁術に会ってて気に入られていて、袁術は孫権がそれなりの年齢になって仕えてくれるのを楽しみにしていて、「うちの娘もらってくれないかなあ」みたいなのがあったりするとなおいい。当人同士もその頃からお互いに淡い想いとかがね。でも袁術を陥れる陰謀を企てる孫権。それとこれとは話が別です。
史書の袁夫人は美しさをねたまれて他の側室に殺されてしまうという悲しい最期を迎えるんですが、この事件が起こった時には袁夫人は若くても50歳くらいになっていて、下手すると70歳近かったりする。美しさをねたまれ……結果はともかくやけに夢のある話です。子供もいなくて有力なバックもないはずなので、ねたまれるとなると美しさはともかく孫権が大切にしてたのは確かです。何十年も。わあー…。
もっとも孫権が一番愛した妻というと通常名が上がるのは歩夫人であって袁夫人ではないんですが、この歩夫人は呉書に「嫉妬というものを知らない性格で後宮の他の女性の後ろ盾になった」とかわざわざ書かれるような人。だったら二人仲良かったってことでいいじゃないですか。どちらも正室じゃないけど正室は何十年間か別居状態なので、孫権の後宮は袁夫人と歩夫人が仲良くキャッキャウフフしてるのが中心だった数十年があったというファンタジーが成り立つと思うんですよ。やった!

長い上に途中から袁術じゃなくなった。
そういえば袁術の娘は北方謙三三国志にも出てくるんですが、孫権とは何も関わらない役だったのでちょっとがっかりした。袁夫人とは別の娘、袁夫人の妹?だったようです。ただ北方先生が呉書の袁夫人の項目を見て、孫権なんかにはもったいないからもっといい男を紹介してやるよ!と考えたのではないかという一抹の疑惑もぬぐえません。北方先生め!

2008年09月22日(月) ネット閲覧日記

痛いニュース(ノ∀`):清原「今のオレに変化球投げるなんて、辞めていく人間に後ろから切りつけるようなもん。がっかり」

これの中にあった「佐々岡の引退試合で村田がホームラン」はすごくいい話で読むだけで泣けてしまうんですが、この物語の主役の一人である村田選手のブログの該当記事は何度読んでも面白いです。
人生の中でもホームランを打って涙が出たのは初めてです(T_T)

九回の表、ツーアウトランナー無し…
ピッチャーは今期限りで引退を表明した佐々岡さん(>_<)

自分の心境は複雑でした。
しかし、広島のナインの方や佐々岡さん、ブラウン監督はタイトル争いをしている自分に対して『真剣勝負のフルスイングで送り出してくれっ』と言ってくださいましたm(__)m

すごいなあ、これ
本当に泣いてるのにその涙と「(T_T)」の結びつかなさがすごい。
あと「引退を表明した佐々岡さん(>_<)」の部分が面白すぎてすごい

2008年09月21日(日) 文章

しばらくの間なんでもいいから毎日のように何かしら文章書いてみようと思いました。粗製濫造の中から後で読み返して笑顔になるものが生まれたりするものです。多分
アンテナやRSSリーダーに入れているとムッとするかもしれないけどまあそんなこともあるよ

文章というのは意味が伝わればいいのだと思っているくせに苦手な言い回しがある不思議。何なんだろう。誤用とかならわかるんですが、別に間違ってなくても起こる現象なのですよね。
たとえば私は「盛大にため息をついた」とか「盛大に笑った」とか、行動に「盛大に」がついた言い回しがどうも苦手で、文中にそれが含まれていると、ははあこれは自分とは合わない文章だな?とかつい思ってしまう。言葉への苦手意識は繰り返しによって起こるような気がするので、つまり私はそれが含まれている文章を過去にたくさん読んだが自分に合わないものだった確率が高かった、ということなのかもしれませんが、なんかそれだけではない気がする。
苦手な言い回しはこれ以外にも多々あり、そういうのってよくないんじゃないかしら? と思う今日この頃です。日常的に文章を書いてみることでそういう言葉と自然にふれあっていけたらいいね、みたいな気持ちです。

そういえば以前「教室で盛大にゲロ吐いた」という本を書店でよく見かけたけどそれはそんなに「何というタイトルだ」とか思ったりはしなかった。タイトルは奇抜で当然という気持ちがあるからかもしれません。やはり文中に出てくるのがハッとする。それからゲロだからかもしれません。やはり「盛大に」はため息の頭にあるのが一番うわっと思う。

2008年09月16日(火) 日記

久しぶりに飲みに行って思ったんですがやっぱり携帯ないと不便だった。去年の年末くらいだったかにいつのまにか醤油がかかってて、多分それが原因でスイッチが入らなくなってしまったんですがめんどくさいのでそのままにして基本使用料だけ払っているという現状なのです。
解約か修理か機種変更か。携帯がないと不便というのは家にいる時にもしばしば思うことで、時刻を確認するためにPCを開く時が第一位です。なので今日壁掛け時計を買ってきた。千円しなかった。というか壁掛け時計がこんなにいいものだとは知らなかった。携帯のことがどうでもよくなった(未解決)

2008年09月14日(日) ドラクエ3

賢者最終装備

賢者の最終装備。ふしぎなぼうしはグリンラッドで、さざなみのつえはバラモス城でゲット。まほうのほういは武器屋で購入。
これもFC版準拠の装備ですが、FC版においてさえ最強ではない貧弱装備。賢者だけど元魔法使いなのでなんとなく剣や鎧は似合わない気がしてついこうなりました。でもまほうのほういは「魔法」かつ「法衣」という魔法使い・僧侶どっちも兼ね備えた感を醸し出しているところがいいなあと思います。
魔法の法衣の形状はこんなのでは断じてなかったけど、前と後ろに垂れ下がってるよくわからないもので僧侶らしさをアピールしてるつもりです。スリットが入っているのはさすがに法衣だけあって動きにくかったため(購入した後に切った)

ふしぎなぼうしはひょうがまじんが落としてくれるのでグリンラッドで手に入れるのは一応ゲームに忠実と言えますが、ここではグリンラッドのじいさんがからんでくるのであまり忠実ではありません。
以前ちらっと「グリンラッドのじいさんは大魔法使い」的なことを書いたんですが()、魔法使いの最強にして象徴たる装備であるふしぎなぼうしがあの場所でゲットできるというのにもそういうにおいを感じずにはいられないですよね

2008年09月08日(月) ドラクエ3

サイモン

サイモンとボストロール。オルテガが火口に落ちてから2年後。
なんかサイモンは痩せた剣士のイメージです。昔攻略本で見たガイアの剣が細身の剣だったからに違いない。

本日のテーマ。「なんでサイモンは囚人のくせに牢獄に武器持参しちゃってるの?」
そもそもあのほこらの牢獄は、オリビアの呪いがあると行くことができない場所、というのがゲーム上重要なポイントなので、サイモンがどうやってあそこに渡ったのかも謎なのですが…。ここでは「かつてはサマンオサ←→ほこらの牢獄直通の旅の扉があったんだよ」という設定でいこうと思います。
あのほこらの牢獄はサマンオサの牢獄の一部のようなもので、そこに通じる旅の扉もサマンオサの地下牢の奥にあった。だがある日、王と入れ替わったボストロールはサイモンをここにおびき寄せ、他の魔物たちとともに奇襲して旅の扉に落とし、大急ぎでこの扉を封印して使えないようにしてしまったのだった(サイモンは強いので普通に殺そうとすると勝てない)。だから剣ごとあっちに行っちゃったんだよということで。
公式ではサイモンはオルテガが火口に落ちるより前に牢獄行きになってたような気もするのですが…まあいいや。

さて、ここのオリビア岬はかなり昔から呪われてるんですが、呪いが始まったのが最近という設定の世界ならば、サマンオサ東の教会の神父さんが言っていた通り、サイモンがあの教会から旅の扉をいくつか経て船に乗ってほこらの牢獄に行ったというのも可能でありそれはそれで魅力的です。この場合サイモンは足に鎖とかつけて、見張りの兵士が「さっさと歩け」とか罵りながら同行します。この兵士が賄賂を受け取ってたとかサイモンに恩があったとかで、帰り際にこっそりガイアの剣を渡してくれる…という流れ。
しかしサマンオサからあの島は地図で見るとえらい遠さで、なぜこんなところに囚人を送る慣習があるのかという疑問がわきます。そこで浮上するのが「旅の扉を利用した世界規模の囚人封じ込めシステムが存在した」説である。サマンオサの旅の扉から行けるということはロマリア・ポルトガ国境のあの旅の扉からも行けるということで、つまり始末に困るような囚人たちは、国籍問わずあの島に送られていくというわくわくする展開がそこにあった!
でも岬が呪われた後は行き来不能になって、島にいる囚人はみんな死んでしまうことを考えるとわくわくどころではない気もするんですよね

2008年08月30日(土) 地底三国志

ホウ統と呂蒙

龐統と呂蒙。下のの続きというか、この組み合わせの会話はこれくらいゆるいというのを描いてみたかったのでした。
主君はもう孫権の時代。自分三国志の周瑜は全くかっこよくないので、カッコイイと言ってるのはこの二人くらいのものです。
 
・呂蒙
賢くなる前から戦はものすごく強かったそうで、きっと野生のカンや嗅覚で戦してたんだろう→野生児、という連想でこうなってしまった。でも「突然やる気になって勉強→すごい吸収力」みたいな覚醒イベントも、野生児にはよく似合うと思うのですよ。
野生児だけに食べ物に弱く、すぐ餌付けされる。甘寧を推挙したのも偶然甘寧が餌付けしたのがきっかけだった。後年、甘寧の家の料理人が金に目がくらんで甘寧を毒殺しようとしたのが発覚した際、呂蒙は以前この家で食べた食事がおいしかったという理由で料理人をかばったため甘寧と大喧嘩になった(悪い史実の混ぜ方)

2008年08月29日(金) 地底三国志

士元

・龐統
自分三国志内で女になっちゃった人その4。三国武将を何人か選んで女の子にする場合、個人的にはちょっと外せない一人です。なにしろ「鳳凰の雛」……雛ですからね。なんという可愛い響き。雛。綿毛ほわほわとかそういう。
龐統にはぶさいく設定があるはずですが、横山光輝三国志のせいか、私の中では造形とかより服が汚れてるイメージでした。おかげで「よく転ぶ」という属性がついちゃいまして、なんというかおめでとうございます。

カップリングだと竜鳳なんですが。龐統は周瑜の部下だったというおいしい過去がありますので、その頃呂蒙と仲良しだったりするといいと思うんです。自分三国志の呂蒙が賢くなるのは赤壁後なので、当時はもちろん蒙ちゃんでした。頭はいいけど抜けてる龐統と、スペックの高い頭脳をまったく使ってない呂蒙。しかもこの二人同い年(多分)。すばらしいポテンシャルを秘めた組み合わせではありませんか。ねえ。

2008年08月24日(日) ドラクエ3

最終装備

戦士の最終装備…細すぎた

相変わらず三国志サイト巡りとかしていて、その影響で鎧っていいなと思う今日この頃です。
装備に関しては8割方FC版準拠なので戦士の最終装備はこんな感じです。どれもこれも形がおかしいわけですが。昔攻略本で見た大地の鎧はなんとなくこう…古代の香りがする感じの形だったし、魔神の斧は長くなかったし力の盾は丸かったような。鉄仮面も本当に仮面という感じだった。つまり全部うろ覚えなので思い切ってでたらめになっている現状です。

パッケージイラストの影響なのか、勇者は最後の方まで鎧着てなくてもあまり違和感ないんですが、戦士は最初から何らかの鎧を着てる気がするし着ててほしい。ただ戦士×武闘家好きといたしまして今回、戦士が重そうなものを装備していると武闘家とべたべたしてほしい気持ちが増すということに気づきました。戦士×武闘家のどこに萌えるかというのは過去にも色々述べたような気がしますが、「呪文や特殊能力が使えないという大きな共通項がありながらも対照的」という点がやっぱり大きい。で今まで私はこの「対照的」というのを「すばやい←→おそい」「持久力←→瞬発力」「武器の使い手←→素手が基本」とかそんな感じにとらえてたんですが、今回「重い←→軽い」「固い←→やわらかい」みたいなところに改めて気づかされて、なるほど! と自分の萌え心の一因を知った思いです。うまく説明できないんですが、

説明

こういうことです。いや違うけど。違うけど、なんていうか組み合わせとしてそういうことですよ。こんな状況いろんな意味でありえないんですが。

2008年08月12日(火) 地底三国志

自分内三国志ブームが下火になったかと思ったがそんなことはなかったのでしばらく更新止まると思います。薄々感づいてたけど連載とかしていいタイプじゃないよね。人格的に。

これまでここには読んでる人が興味ある内容だろうかとか全然考慮せずに色々書いてきた気がするんですが、なぜか今……孫権と袁術の関係がいかに萌えるかとかそういうことを書くのは何か違うような気がしている。何だろうこの気持ち。疲れてるのかな。萌えすぎて。
いずれ何事もなく戻ってくるか、サイト作っちゃいましたとか言いながら戻ってくるかすると思います。それではまた。
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